100ワニ騒動に見る「どう生きるか」問題

「100日後に死ぬワニ(以下100ワニ)」のワニさんの49日が5月7日だったそうで、「もうそんなに時間が経ってしまったのか!」と時間の速さに驚きを隠せない筆者です。

新型コロナウイルスが何かと話題をさらうという状況下ということもあり、3/20の最終回でTwitterのトレンド世界1位を獲得したワニさんが、早くも話題から消えつつあることにも驚いています。

そんでもって、みんなが忘れた頃にそんなワニさんの事が気になって仕方のない筆者です。

「意識する・しないに関わらず、死の期限は刻一刻と迫っている。当たり前の様に存在する日常は当たり前のものではなく、ある日唐突に終わるかもしれないかけがえのないもの。だから1日1日を大切に生きよう」

…これが「100ワニ」に込められたメッセージであり、作者であるきくちゆうきさんが伝えたかった事だと思います。そしてその思いは、間違いなく読者に伝わっていたと思います。だからこそ多くの人の感動を呼び、それは200万を超える「いいね!」という形で証明されています。

…しかしというか、なんというか、この資本主義社会において「どう生きるか」は「どうやってお金を得るか」ということとほぼ同義ではないでしょうか。多くの人にとって肩書きとは職業です。そして職業とは収入、つまりお金を得ている手段に他なりません。

「限りある命だからこそ、1日1日を大切に生きよう」。いくらそう思ったところで、そう気づいたところで、しかし、お金がなければ、ままならない。人生においてお金が全てではないけれど、お金があるのとないのとでは、選択肢の幅が大分違ってきます。

この日本には、「金は命より重い」というセリフが登場する漫画も存在します。さらにこのセリフには「労働で命を金に換えている」という続きがあります。つまり、私自身含めて多くの人は「生きる為にお金を得ているのか、お金を得る為に生きているのか分からない」そんな危うい社会で生きています。

「100ワニ」が最終回を迎えた直後に発表された大々的な商業展開で「炎上」してしまったのは、すでに多くの人が指摘しているように「嫌儲感情を刺激してしまった」とか「死を食い物にしているかのような印象を与えてしまった」というのもあるのでしょう。

ここで特筆したいのは、やはり多くの人が指摘している通り「タイミングが悪過ぎる」「作品の余韻が台無し」問題についてです。「最終回直後に大々的な商業展開をするのではなく、読者に作品の余韻を与えてから小出しですべきだった」というのは、よく見かける「炎上の理由と解決策」です。

ではその「作品の余韻」とは何なのでしょうか。

「1日1日の大切さを教えてくれたワニくんの死」は「儚くも美しい物語」でした。青空の下、美しく舞う桜は、ワニくんの命の輝きそのものです(これは比喩ではなく、実際に桜の花びらがワニくんの笑顔のシルエットであることはすでに指摘されています)。

そこにはしょうもない現実を忘れて「生きる活力をくれる物語」としての力が、確かにありました。

つまり読者が求めていた「感動の余韻」とは「資本主義社会にのまれて忘れていた命の輝きを取り戻すこと」であり、それをTwitterという「誰でも無料で見られる媒体」で展開されたことの意義も大きかったと思います。

…ところがその直後に発表された大規模な商業展開によって「でもしょせん、この世は金(資本主義)です」というしょーもない現実を読者に突きつける形になってしまいました。

最終回に世界で最も輝いた「ワニくんの命」はしかし、その直後に資本主義社会の荒波に呑まれてしまいました。

(厳密に言えばTwitter自体も資本主義のルールにのっとって運営されているのでしょうが、それは一旦脇におきます。また、民放テレビを「無料」と勘違いしている人もいますが、あれは無料ではなく、視聴者は「CMを視聴する」という形でコストを支払っています)。

「100ワニ」がもっと普通の漫画だったら、一番盛り上がったタイミングで商業展開を告知するのはベストだったでしょう。

しかし「死」を主題とするこの作品にとって大規模商業展開は相性がよくありませんでした。ここは資本主義社会なのだから、多くの人に感動をもたらした作品や作者様がそれによってリターンを得ることは至極当然の事ですが、「商業展開するにしても、もっと作品の本質を見極めた手段を考えるべきだった」というすでにあちこちで見られる指摘は、私もその通りだと思います。(これは作者様が悪いのではなく、マーケティングを仕掛けた方の問題だと思います)。

さて、そんなワケで私たちは「1日1日を大切に生きよう」といったところで「お金がないとままならないよね」というしょうもない社会で生きているワケですが、まぁ、希望はないワケではありません。

多かれ少なかれ「資本主義社会」が限界に来ていることに気づいている人はいますし、テクノロジーが発達すればベーシックインカムが導入されて多くの人は働かなくてもいい(生活の面でお金の心配をしなくてもよい)社会になるのかもしれません。

もっとも、日本の政治家たちの動きを見ていると、「どうにも明るい未来が想像できないな」というのが本音ではありますが…。

※余談ですが、「ワニくんのガチャポン(ラバーストラップ)がかわいい」と思って買い物の際ついでに探している(時期が時期なので、あくまでついでです)のですが、見つかりません。その内、運良く見つける事ができたらガチャを回すかもしれません。

※何故今更こんな事を書いたのかというと、「資本主義社会」に他でもない筆者が消耗しているからです。それは、ワニさんが炎上しようがしまいが、変わらなかったと思います。

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