産休クッキー問題について思うこと
産休クッキーなるものがX(旧Twitter)をざわつかせたそうです。
どうやら産休クッキーの配布をしたという投稿に対して「不妊治療している人への配慮が足りない!」と怒っている方がいるようです。
果たして産休クッキーを配るのは有りなのか、無しなのか。
この問題を見て思い出したのは、中学生の時、担任の先生から受けた「高校受験の合否を回りにあまり言いふらすな」という忠告です。
高校に合格したのを担任の先生に報告したら「おめでとう。でも、色々な結果があるから、周りにあまり合格したと言いふらさないようにね」というような事を言われました(一字一句同じではありませんが、要約するとおよそ上記のような内容になります。生徒全員に言っていました)
「色々な結果」といっても、受験なのだから結果は「合格」か「不合格」の二択しかないのですが、「志望校が不合格な人に配慮して自分の合格結果はなるべく黙っているように」と言われたわけです。
どうです、産休クッキーの配布に対して「不妊治療している人への配慮が足りない!」と怒っている人がいるのと、似ている問題だと思いませんか?
ではなぜ、志望校が不合格な人に配慮して高校の合格を言いふらしてはいけないし、産休クッキーの配布も不妊治療をしている人に配慮して配布を控えなければならないのでしょうか。
少し嫌なはなしをしますが、その答えは、人間は本能的に「自分より恵まれている(ように見える)人を嫌う」からではないでしょうか。
これは「筆者の感想」とかではなく、実際にそのような実験結果(相手だけが得をしようとしたら、自分が損をしてでも相手に得をさせないよう行動する)があるそうです。
「産休クッキー」はすごく幸せ感あふれるデザインになっているので、配布した人に共感できればつられて自分も幸せな気分になれるのかもしれませんが、共感できなければ「幸せマウント」をとられているように感じて不快になるという、なかなか厄介なシロモノだと思います💧。
なお、産休クッキーのポストを投稿した女性はあくまで特定の(おそらく自分と親しい)間柄の人にだけ配ったそうなので、この方の行動に問題はなかったと思います。Xで叩いている人たちが勝手にマウントを取られているように感じて怒っているだけなのです。
意見の違う者同士は対立しやすいです。しかし、誰にでも開かれているSNSは自分とは異なる意見の投稿も目につくようになっています。
その女性は現実には産休クッキーを身近にいる親しい人達にしか配らなかったのものの、Xに画像を投稿したことで「産休クッキーなんて配られたら嫌だ」と思う人にまでその投稿が届いてしまい、双方にとって不幸な結果となってしまいました。
つまり、産休クッキーをXで叩いている人たちは心が狭いのではなく、SNSによって「自分より恵まれているように見える奴許せん」という本能を刺激されてしまったというわけです。隣の芝生は青いですね…。