さらざんまい6話感想
内容が濃すぎて、思った事全部書けるか分かりません(^^;)
とりあえず、最初の相撲は女性向けのサービス…ですかね(笑)
玲央と真武と人形焼き
一方、アニメでははじめて交番の外に出た怜央。
コミック版だと真武に勧められて食べていた仲見世の人形焼きを、自分で買って来て一人で食べてます。切ない。
人形焼きを手に乗せながら悔しそうに「感情を失くした人形…」と言う玲央のセリフから察するに、「元の真武に戻って欲しい…」と切に願っているのでしょう。
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…まぁ、コミック版とアニメ版が本当に「つながっている」のかは疑問の余地がありますが(^^;)
それはともかく、ついに犯罪者だけではなく春河(何の罪もない一般庶民)にも手を出したのにはゾッとしました。
人とつながれないことは存在しないことと同じ
春河がカワウソ帝国軍にさらわれたという情報を電話で受信するケッピ。
「かけて来たのは一体誰なんだ」というのは気にしてはいけないのかもしれません(^^;)
春河を救う為、ついに帝国のアジトに乗り込んだ一稀達。
いつも「カワウソイヤァ」で流れている景色を冒険しているのは面白かったです。
春河まで一歩手が届かず、奈落の底に落下させてしまった一稀。
春河を救うには、一稀の尻こだまを移植するしか無いという。身体と尻こだまを切り離すためにここへ飛び込め~とか言ってたけど、あれ、一稀って元々ケッピに尻こだまを抜かれてカッパになったんじゃなかったけ⁇(切り離すも何も、この時点で一稀の尻こだまはケッピが持っているのでは?)
それはともかく、重要なのはここからです。
ケッピ曰く「人間は尻こだまでつながっていて、尻こだまを失くしたものはつながりの外に放り出されて、はじめから存在しなかった事になる」との事。
この「存在がなくなる」という展開はアニメ化もされたライトノベル「灼眼のシャナ」を思い出しました。
「シャナ」だと「この世に存在するのに必要なエネルギー」を「存在の力」と呼び、要は「架空のエネルギー」だったわけですが、「さらざんまい」ではもっと踏み込んでそれを尻こだま「つながり」だと表現しています。
少し話はそれますが、「アンパンマン」の映画に「いのちの星のドーリィ」というものがあります。
その名の通り「いのちの星の力で生命を得た人形、ドーリィ」のお話なんですが、「アンパンマンは『いのち星』が身体に溶け込み、生き生きとしているのに、ドーリィのいのちの星の輝きは弱まる一方。このままでは元の物言わぬ人形に戻ってしまう。私とアンパンマン、何がちがうの?」とドーリィは苦悩します。
その答えは、「アンパンマンはみんなのことを考え、みんなのために行動しているけれど、ドーリィは自分の事しか考えず、他人のことはどうでもいいと思っていたから」だと作中で明かされます
…つまりアンパンマンは「みんなとつながっている」けれど、ドーリィは「誰ともつながれなかった」からいのちが消えかけていたという事です。
つまり「生きる」というのはただ単に「身体が生命活動をする」という事だけではなくて、「他者と関わってつながりを持つ」という事なのです(はい、これアンパンマンの映画です。深いですね)
それいけ!アンパンマン いのちの星のドーリィ
「誰ともつながれないことは存在しない事と同じ」という本作の展開を見て、「シャナ」と「アンパンマン」を思い出したという話でした。
欲望か、愛か…
これまでのターゲットとは違い、春河の入った箱は「判定:愛」として返却されます。
ホッとしたのもつかの間、今度は「輪るピングドラム」に登場した子供ブロイラーのような謎の装置が登場!
久慈曰く「シュレッダー」
「このままじゃ春河が粉々にされてしまう!」と奮闘する一稀たち。
自ら変身(?)したとはいえ、ボールのように蹴られまくったり、パラシュートになったりしたあげく、ボロボロになってしまったケッピの姿がなんともシュールでしたw
今回も衝撃のCパート
最後、真武が死ぬ(?)ショッキングなシーンですが、演出は笑いを誘うかのようにコミカル。
普通、ギャグとシリアスのごった煮をやると見てる側としてはシラけてしまうのですが、そうではなく、「面白い演出」として成立しているところが「さらざんまい」の、幾原監督の凄いところです。
…それはともかく、玲央がピンドラの冠葉、真武が陽毬に見えてきました。
ピンドラだと最後、陽毬を救って冠葉は消えてしまうんですよね…。この二人はそうならないことを祈ります(^^;)
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