人権ない発言をゲーマーだけの問題にしてはいけない
某プロゲーマーが「○○は人権がない」等という発言をして炎上、会社から契約を解除される事態となりました。
この件に関し、「人権」はゲームのスラングであり本来の人権(生存権、財産、人格等を保証し、他人から不当に侵害されない権利)の意味とは違う使われ方をしているという指摘もあがっています。
確かに、ゲーマーは「ゲームの攻略に有利、あるいは必須のアイテムやカード等」の事を「人権」と呼ぶ場合があります。
本来の意味での「人権」は人間が生まれながらに持っているものですが、「ゲーマーの言う人権」はソシャゲのガチを回す等して、「条件を満たさないと得られないもの」になっています。
問題発言をしたAさん(この記事では便宜上そう呼ぶ)の発言を見るとまさにゲーム的な意味で「人権」という言葉を使っていたのだと思います。
謝罪してもいまひとつ反省の色が見られないのは、本人が感じている「人権」の意味と世間一般の人が認識している「人権」の意味と間にあまりにも温度差があるからなのでしょう。
しかし、Aさんに悪気がなかったとは思わないですね。多くの善良なゲーマー達はゲームに必須級のカード等を「人権」と呼ぶ事はあっても、他人に対して軽々如く「人権ない」等と暴言を吐く事は冗談でもしないからです。
Aさんが厳しい処分を受けるのは仕方がないとして、老婆心ながらゲーマー達はAさんを反面教師として「人権」という言葉の乱用はやめた方がいいと思います。
最初は冗談のつもりでも、言葉というのは使っていく内に変化していくものなので「ゲームを攻略するうえで必要なもの=人権」というつもりで使っていく内にだんだんと本来の意味を忘れたりカン違いしたりして「現実でも条件を満たさないと得られないもの」という認識にすり替わりかねません。少なくともAさんはそうだったのではないでしょうか。
そして、ゲーマー達が「ゲームに攻略に必須級だが条件を満たさないと得られないもの」を「人権」と呼ぶようになった背景には、実際にこの社会では「人権」が不当に侵害される事が度々起こるからではないでしょうか?
その最たる例が「生活保護受給申請者に対する水際作戦」ではないでしょうか?
生活保護を受けるのは国民の権利であり、人権とも繋がっています。しかし、条件を満たしている人に対して水際作戦で追い払ったり、所謂新自由主義者の中には「海外では働けなくなったら野垂れ死ぬのが当たり前。日本は国民を甘やかしている」等と考えていたりする人もいます。生活保護は暴動を防ぐために導入されたのであって、国民を甘やかす事が目的ではないですし、思わぬ病気やケガ等で自分も働けなくなるリスクがあるはずなのですが、そんな事も分からない人が残念ながら世の中にはいるようです。
また、日本国憲法が保証しているのは日本人の人権だけですが、だからと言って外国人労働者を「技能実習生」という名目で奴隷の様に扱っていいという道理にはならないでしょう。
もっと卑近な例で言えば学校のイジメや職場でのパワハラ等です。
この様に現実の社会でも「人権が守られている」とは言えないケースが多々発生しているのですね。
Aさんを叩いて終わり、ではなく、これを機にゲーマーは「人権」という言葉の乱用をやめ、ゲーマーではない人も「人権とは何か」、不当に侵害したりされたりしていないか、侵害していた場合はやめて、侵害された場合は勇気を出して抗議する、という事を今一度考え直す機会なのかもしれません。