きっと何者かになれるー劇場版ピングドラム後編感想と舞台挨拶
ネタバレ無し感想と前置き
7/24に劇場版ピングドラム後編見ました。前編は見ずに後編だけ。
ピングドラムは10年前のTVシリーズを見ており、面白くなるのは後半からなので、「劇場版も見るのは後編だけでいいかなー」と思っていました。
ロング・ショットになると、キャラの顔が度々消えているのが見ていて気になりました。
TVシリーズのカットをそのまま(引き伸ばして?)使ったのかもしれませんが、できれば映画向けにキャラの顔を描き込んで欲しかったですね…。
当時から思っていましたが、「ヒロインが変身した姿」に「プリンセス」とか「クリスタル」とか名付けるあたり、やっぱり幾原邦彦監督はセーラームーンの監督なんだって感じでね😆
以下、ネタバレあり感想
あの二人が10年の時を経て帰って来た!
内容は総集編+aでした。
TVシリーズのラストで世界からいなくなってしまった冠葉と晶馬が異世界(そらの孔文室≒図書館)でTVシリーズの内容を振り返りつつ、「自分達が何者なのか」を思い出していく…という展開です。
TVシリーズでは夏芽真砂子主役会の「死なない男」が最も好きな話なのですが、劇場版だと完全にカットされていたのは残念でした😢
プリンセス・オブ・ザ・クリスタルの代表的なセリフは「きっと何者にもなれないお前達に告げる!」でしたが、今作ではペンギン帽を被った桃香が「きっと何者かになれるお前達に告げる!」と視聴者に向けて言うんですよね。映画の最後にも同じ言葉が表示されます。
これには多分、2つの意味があって、1つ目の意味はTVシリーズは陽毬を救った代償に冠葉と晶馬が自分を失う(何者にもなれない)物語であったが、劇場版では「俺達は陽毬のお兄ちゃんだ!」と自分を取り戻す(何者かになる)お話だということ。
2つ目の意味は10年前より更に厳しい時代を生きている観客達に「冠葉、晶馬が自分を取り戻したように、あなたも自分の可能性を信じて頑張れ」という監督からのエールでしょうね。
「何者」というのは「特別なナニカになる」事ではなく(それはそれで間違いではないのですが)、「自分が自分である理由を確立する」という事なのでしょう。
舞台挨拶付上映会の備忘録と感想
実は本編以上にこれが気になって見に行ったのですが、良かったです。実際の舞台挨拶は池袋の映画館でやっていたっぽいのですが、中継カメラで地元の映画館から鑑賞しておりました。
とくに木村昴氏は痒いところ(私がまさに監督に聞きたかった事)を質問してくれたので、感謝です。
具体的には、ユリとタブキが「愛された記憶を持った子供達はきっと幸せになれる」というセリフを言った後、今回新たに描き起こされたシーンとして、子供の姿のメインキャラたちが交互に「愛している」というシーンがあるのですが、その場面の意味みたいのを聞いてくれたんですよね。
木村昴氏が監督に「冠葉が陽毬にーーのように、あれはそれぞれのキャラが作中の愛する対象に向けて言ったセリフですか?」と聞いたところ、「それも間違いではないけど、あれは作中のキャラ達が観客に向けて言っているんだ。作中のキャラ達と観客をピングドラムで結びたかった」と監督は回答しました。
作中で冠葉、晶馬、陽毬の3人が愛≒りんご≒ピングドラムで命を繋いだように、作中でユリが「愛された記憶を持つ子供は幸せになれる」と言ったように、この物語の観客に「本作のキャラ達の愛で幸せになって欲しい」という監督の願い…なのでしょうね。
また、木村昴氏いわく、冠葉は大事な事を言わない。そのモヤモヤが当時はあったが、今回の劇場版で「俺たちは陽毬のお兄ちゃんだー!」と言ってくれたので良かったとの事です。
確かに、後編の総集編部分を見ても冠葉は陽毬の事を「大事な家族」と言ってはいるけど、「妹」とは言ってはいないですし、「俺はお兄ちゃんとして妹を守るんだー」とも言っていないんですよね(ラストの手紙で「大スキだよ。お兄ちゃんより」とは言ってるけど)。
多分、木村昴氏は冠葉にそう言って欲しかったんだろうなーと思いました。
また、小泉豊さんと10年ぶりにアフレコで会って「変わんないすね」と言ったら「だよね」と返事が来て「やっぱり小泉さんはサネトシなんだと思った」との事。
また、マスコットキャラのペンギンについて「ペンギンは飛べない鳥だけど、最後飛ぶ事によって自由になった事を表現したかったからですか?」と木村昴氏が監督に質問すると「いいとこつくね〜!」と返事があったそうです。つまり答えはYESですね。
幼少期の多蕗が飼っていた「カゴの中の小鳥」が「自由を奪われている多蕗のメタファー」であり、桃果に子供ブロイラーから救い出された後に小鳥がカゴを飛び出すことで自由になった彼を暗示している事にはすぐに気づきましたが、ペンギンが最後に空を飛んだ描写については「そうだったっけ?」という感じなので、後で後編を見直したいですね😅
高倉陽毬役の荒川美穂氏は「ご結婚&ご懐妊」をこの場で発表されました。おめでとうございます。木村昴氏も当日の朝に知って驚いたそうです。プリクリは「きっと何者にもなれない」と言っていたけど、桃果の「きっと何者かになれる」というセリフに励まされたそうです。
荻野目苹果役の三宅麻理恵氏も苹果について熱い思いを語られていた…と思うのですが具体的にどんな内容だったかは覚えていません。申し訳ない(><;)
監督は「上映だけで2時間越えで、舞台挨拶も含めて3時間、みんなトイレを我慢するのが大変だったと思うけど、ここに集まっているのはそれを乗り越えた猛者たち」とジョークを飛ばし、それに「もう少しの辛抱ですねー」「辛いならガマンせずにトイレに行ってくださいねー」と司会者の女性か、荒川美穂氏か三宅麻理恵氏のどなたかが返答しておりました(^^;)(そういえばごくわずかではあるけど、恐らくトイレのために離席した方もいました)
監督の観客への愛やファンサービスも素晴らしかったですが、やっぱり今作で一番良かったのは、冠葉、晶馬の2人が10年の時を経て“作中の現実世界”に帰って来たことですね。
自己犠牲で死んだ故人が生き返る事は現実にはありえませんが、だからこそ、フィクションの世界でくらいそれが許されてもいいじゃないか…と思います。(ある意味セーラームーンの世界に帰って来ましたね)