「やられたらやり返す」は正しいのか?

やり返しても何も解決しない。

先日、X(旧Twitter)で「子供にはやられたらやり返せ」と教えています。

という学校に通う子供の親だと思われる方のポストがバズっていて、リプランには「やられたらやり返すのは大事ですよね。うちの子にもそう教えています」というコメントがあって、ますます頭が痛くなった。

「やり返さないと相手はますますつけあがるのだから」というもっともらしい理由が語られていたのだが、申し訳ないが、こう語る人達は「本当の学校でのいじめ」というものを知らない。だからこういう短絡的な発想になるのだ、と言わざるを得ません。

同Xでは「復讐が無意味だなんて綺麗事だ! 復讐は大事だー!!」というようなポストも見たことがあるので、「やり返してはいけない」というとそれだけでブチギレられそうな気もしますが、この記事では「復讐は無意味だ」という綺麗事を言いたいわけではありません。

「え、やり返さないと相手はもっとつけあがるでしょ? やり返すのは正しいんじゃ…?」とあなたがもし思ったのなら、冷静に考えてみて欲しい。

他人に暴力(言葉の暴力を含む)をふるうような相手が、自分が暴力をふるわれて黙ったままでいるのか、と。

当然、向こうはますますヒートアップして来てこちらをさらに攻撃して来ます。

ずる賢い相手だと、被害者が反撃したのさえいじめの口実として理由し、教師と一緒になってますます被害者を追い詰めて来ます。

学校というのは、そういう世界です。もしかしたら、学校以外もそうかもしれません。

つまり、「やられたらやり返す」を行使したところで、最初にやられた側が相手を完膚なきまでに叩きのめせる圧倒的暴力の持ち主ならともかく、そうでなければどちらかが折れるまで、延々と暴力の応酬が続きます。

当然、いじめる側は自分達に反撃してこなさそうな相手を選んで攻撃してくるので、「やられたらやり返す」を行使したところで被害者がますます酷い目に遭う場合の方が多いでしょう。

仮に完膚なきまでに相手を叩きのめしたところで、今度はあなたが「加害者」ということにされるかもしれません。

「やられたらやり返す」復讐は無意味ではないかもしれませんが、相応のリスクがあり、返ってあなたがもっと酷い目にあうかもしれません。

では、どうすればいいのか。

一番いい選択肢は「攻撃してくる相手からは逃げる」なのですが、それを許さないのが「学校」というクソ制度です。

こう書くと、「被害者側が学校に残り、加害者が停学や退学処分になるべき」というこれまたもっともらしい反論が飛んで来そうなのですが、それが実現できるならそれも一理あると思います。

しかし、学校というのは「正しい少数派ではなく、間違っている多数派」の味方をする機関なのです。

旭川市でおきたいじめに対する、教頭のコメントを見てもそれは明らかでしょう。

学校で相手から攻撃されたら、どうすればいいのか。

子供達に「やられたらやり返せ」と教えるのではなく、まずは大人に相談させること、子供を学校に通わせる大人達が責任を持っていじめを解決する事だと筆者は思います。

大人達はいい加減、「学校は子供達にとって楽しい、良いところである」という幻想を捨てて、「学校は非常に危険なところであり、学校で何かあったら自分達が責任を持って解決しなければならないんだ」という覚悟のうえで子供を学校に送り出すべきではないでしょうか?

とはいえ、親も仕事や家事など自分の事で忙しいでしょうし、そう理想的な振る舞いができる人の方が少ないだろうとは思います。

やっぱり、皆を一箇所に集めて共同生活させる学校制度そのものを見直すのが根本的な解決ではないでしょうか。

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