のび太のママは毒親

大山のぶ代時代のドラえもんの映画を見ると、のび太のママ(以下、のびママ)が「子供が勉強する事」以外に価値を見いだせず、勝手にドラえもんの道具を捨てたりいじったりするトラブルメーカーというか毒親っぷりで驚きました。同じ様な人は現実でも多いのではないでしょうか。つまり「勉強=善、遊び=悪」という洗脳から抜け出せない人の事です。

ドラえもんという作品の作風もあると思いますが、のび太は学校のお勉強(=他人から強制されるもの)より、自らの願望で借りたドラえもんの道具から学んだ教訓の方が多いと思います。のびママがやっているのは「子供の主体性を奪い、上からの命令に忠実にする」という学校教育の悪しき洗脳そのものです。

のびママの悪いところは「他人から強制される学校のお勉強は正しく、子供が主体的に学ぶ遊びは悪」だと思い込んでおり、「子供の主体性を奪う」事を「当然」だと思っており「他人からの強制である学校の勉強を放棄し、主体的に学ぶ」のび太に怒りすら感じており、「自分はのび太の主体性を奪う事を当然(=正しい)」と思っていることです。
「いや、学校の勉強は大事だろ。勉強しないで遊んでいるのび太をママが叱るのは当然だ」と思った人は一度考えてみて下さい。

「学校の勉強は大事」だと、誰に、どこで教えられたのか。

他でもない、学校や親、あるいは社会からその様に「言われた」からそう思い込んでいるだけではないでしょうか。

確かに学校や就職の試験をパスするのには「学校の勉強」が必要になりますが、そもそも就職すること自体、本当に自分のためですか?

「学校の勉強」や「就職」以外で「好き」で「やりたい事」があるのなら、そちらで生きていく道を探すというのも、一つの選択肢ではないでしょうか?

現状、(私自身含めて)99%の人は「他人から指示されたこと」をこなす方が「自分のやりたい事」をやるより無難に生きていける可能性が高いのも事実だとは思いますが、「のび太が自分の好きな事を見つけて生きていく」という可能性を親自ら潰すのはよくない事だと思います。

私が中学生の頃の担任は「ゲームなんてやるほどバカになる」と言っていました。確かに当時は「ゲームをプレイしてお金を稼ぐ」なんてことはほとんど考えられない時代でした。

しかし現在はeスポーツもあり、ゲームだって極めればお金を稼ぐ事もできる時代です。実際にプロとして活躍できるのは一握りでも、ゲーム実況動画のyoutuberになるという手もあります(ブログも…と言いたいところですが、それはあまり稼げないのでぶっちゃけオススメしませんw)学校で「正しい」と教わる価値観なんて、時代とともに変わる曖昧なものです。

のび太が「学校の勉強をやる」のは「自分のやりたい事」をやった後で良いのではないでしょうか。

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