ゲーム依存症は悪なのか?

ゲーム依存症は悪なのか?

…とタイトルを付けたが、これはミスリード的な文言である。何故なら「依存症=悪」と相場は決まっているからだ(^^;)

「ゲームのやり過ぎで日常生活をきたす=依存症」のような定義がされているようなのだが、しかし、ここでいいたいのは「ゲームに熱中している事が本当に依存症=悪なのかどうか」という事だ。

「病気」は「病気」と定義づけられるてはじめて「病気」になる、という話を聞いた事はないだろうか?

たとえばメタボや高血圧。本当は問題ないのに「病気=治療が必要」と認定して、必要もない薬を飲んだ結果、寿命が縮まるという話を聞いた事はないだろうか。

これと同じことが「ゲーム依存症」にも当てはまるんじゃないかと思う。

日本人はマイナス思考が好きだ。

親や学校の先生は子供の長所には目もくれず、悪いところばかり指摘して「改善」させようとする。

また、親や学校は「子供が遊びに夢中」になる事を良しとしない。「そんな事をしている暇があったら勉強しろ」というのである。

学校でのお勉強というのは、端的に言ってほぼ「暗記」なのだが、それだけではなく「上から言われたことや嫌なことを我慢してやる」という意味合いを持っている。

筆者は子供のころ「今日の宿題は自分で自由にテーマを決めていい」と言われたので「やったこと:読書、読んだ本『ポケモンで学ぶマンガの描き方』」と書いて出したところ、担任から「ポケモン」のところに線を引かれて「好きなものは自由な時にね」と注意書きがされていた。

つまり、学校教育的には好きなことをやるのは「勉強」ではないのだ。

私の夢は漫画家になる事だったから、興味も無いし将来何の役に立つかも分からない事を暗記をするより「大好きなポケモンと一緒にマンガの描き方を学ぶ」方がよっぽど有意義だったと思うのだが。

恐らく「ゲーム依存症」という言葉を使う人は「ゲームなんかしたところで現実には何の役にも立たないし、害悪でしかない」と思っているのだろう。

上述した「遊んでる暇があるなら勉強しろ」理論と同じである。

しかしそれは「時代遅れな発想」だと言わざるを得ない。

何故なら、現在はゲーム大会で賞金を稼ぐ「プロゲーマー」という職業が存在するからだ。そこまでいかなくとも、ゲーム実況でお金を稼ぐいわゆるyoutuberも存在する。

…つまり「ゲームに熱中する事でお金を稼ぐこともできる」時代だというのに、「ゲームに熱中=依存症」という考え方はナンセンスだという事だ。

バカと天才は紙一重、という言葉があるが、同じ様にゲーム依存症とプロゲーマーやゲーム実況youtuberは紙一重なんじゃないかと思う。「病気」と定義づけて治そうとするよりも「ゲームをプレイする事でお金を稼ぐ」という発想に切り替えた方が生産的ではないだろうか。

何故こんな記事を突然書いたのかと言うと、今日の新聞の朝刊に「ゲーム依存症」に関する記事が載っていたからだ。

ちなみに筆者もゲームは好きだ。ほぼ毎日例外なくプレイしている。家族からは「もうゲームやめろ」と怒られる事もあるが、このブログが存在するのも半分は「ゲームのおかげ」と言える。

何故なら「大福丸カフェ」を開く前にアメブロでゲームの感想文的なブログを継続的に書いていて、それが「私はブログを継続的に更新する力がある」と自信をくれたからだ(^^;)

…そんなワケで「ゲームに熱中する=悪」とみなすのはもうやめた方がいいんじゃない? という話でした。

大福丸

…はい、ごめんなさい(;´Д`)

*ちなみに「ギャンブル依存症」はダメだと思う。

何故ならギャンブルは一瞬にして大金が吹き飛ぶリスクがあるからだ。しかし、ゲームにはその様な心配は基本的には無い…と思う。過去にはソシャゲにおける「コンプガチャ」が問題になったか、現在は改善され、ガチャもカードの排出確立が個別に表記されるようになった。

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