人間社会には「逃げる権利」がない
過酷だが自由もある自然界
あなたは「弱肉強食」という言葉にどういう印象があるだろうか?
草食動物が肉食動物から襲われて一方的に食い物にされるーー恐らくそんなイメージを思い浮かべる人が少なくないだろうし、筆者もそう思っていた。
筆者は学校が死ぬほど嫌いで、今なお多くの子供たちを苦しめているその施設・制度を嫌悪しているが、そんな筆者でも学校に行って良かったと思える部分もある。それは、小学1or2年生の頃に担任の先生から聞いた「シマウマとライオンの話」だ。
ライオンがシマウマを襲おうと走り出した時、シマウマもまたライオンから逃げようと走り出すが、「どちらの方が速く走れると思うか」と質問して来たのである。
当時の私はライオンの方がシマウマより足が速いだろうと考えた。何故なら「ライオンは百獣の王」で、シマウマよりも「強い」動物であると知っていたからだ。ジャンケンであればグーはチョキに勝つことはあっても負けることはない。だから「強い」とは「相手を一方的に負けさせられること」だと思っていたのだ。
しかし先生は「食べる側が食べられる側より足が速いなんてことはない。正解はシマウマの方が足が速く、ライオンから逃げ切る可能性の方が高い」と回答したのである。
小学生の私にとっては衝撃的な話だった。
弱肉強食というと、草食動物が肉食動物から一方的に食い物にされている印象があるが、実際のところ草食動物には肉食動物から逃げる権利も能力も生まれながらにして与えられており、捕食されてしまうのは運の悪かった一部の個体に過ぎないのである。逃げ足が速いという意味では、実はライオンよりもシマウマの方が「有利」とも言えるのである。
安全だが自由のない人間社会
一方、人間社会はどうだろうか。
私達はシマウマのようにライオンから捕食される心配はほぼないし、他人から一方的に殺されるリスクも0ではないがそうなる人の方が少ないし、犯罪を犯した者は多くの場合、法のもとに処罰されるため、基本的には殺人鬼に怯えて過ごす必要はない。
それは一見、シマウマの生活よりも恵まれた安全な環境に見えるが、その一方で私達は生まれながらに様々な義務を背負わされており、その義務から逃げる権利も能力も剥奪されているのだ。
具体的には子供の頃は学校に行く義務、大人になってからは労働と納税の義務でる。
子供が教師や同級生、あるいは学校そのものから逃げたいと思ってもその選択肢は不登校しかないが、不登校はまだまだこの社会では容認されていないのが実情だろう。
大人が「嫌な上司から逃げたい」と思った場合、「転職」がその手段の一つになるであろうが、転職先でまた「嫌な上司」に出くわすかもしれないし、「労働」そのものから逃げたいと思ったところで、「働くのをやめたら生活ができなくなる」という人の方が多いだろう。
納税の義務に関してはそもそも逃げる権利が一切なく、自己破産しても借金からは逃げられるが納税からは逃げられないという徹底ぶりである。せいぜい合法的に節税する程度だろう。
こうして考えると、何故人間だけが自殺する生き物なのかが見えてくる。
それは私達が、野生動物なら生まれながらに持っている「天敵(≒嫌な事)からは逃げる」という権利も能力も剥奪されているからではないだろうか。
つまり、4にでもしない限り人間社会からはなかなか逃げることができないのである。
この社会は好きなゲームで遊べる牢獄
ネット上には「好きなゲームの事だけ考えていられる人生が欲しいのに、それが実現しないこの社会はおかしい!」と延々と愚痴をこぼしている人もいる。気持ちは分からなくもないが(私だってこんなしょーもない事を言っていないで自分の好きな事だけ考えていたいです😅)、実際のところ「ゲームをプレイする時間」など、安全だが窮屈なこの社会の、至極ささやかな自由に過ぎないのではないだろうか。
私達が肉食動物や殺人鬼に怯えずにゲームを遊べるのは文明や人間社会に守られているからだ。それは一見、シマウマの生活よりも自由で楽しい事のように思えるが、上述したように私達を守ってくれているそれらは、同時に私達を「果たすべき義務」という見えない柵で覆った牢獄でもあるのだ。
ゲームをプレイするにはソフトや本体を購入する必要があるし、電気代も支払わねばならない。そのためには金がいる。金を得る主な手段は労働である。そして、給与を得ても消費しても、私達は税という形で金を国にむしり取られるのである。
「好きなゲームで遊ぶ権利」は「やりたくない義務」と表裏一体でしかないのかもしれない…。
逃げられないからこそ理不尽な要求を通してはいけない
「人間社会は安全だが代わりに義務から逃げられる自由もない」という話をした。
しかし、私は件の「ゲームの事だけ考えていたい人」に向かって「ゲームばかりしていないで働け!」等と言うつもりはない。むしろ義務(労働と納税)は最小限にして、可能な限り「ゲームの事だけ考える時間」を増やせば良いんじゃないかと思う。
また、ネトウヨの「こんなに守られた社会で文句ばかり言うのはおかしい! 国民は政治家の言う通りにしろ!」という意見には反対である。
むしろ逃げ道がないからこそ、政治家の理不尽な要求(増税とか増税とか)には「ノー」と言える社会でなければならないと思う。そうしないと義務ばかり増えて、ゲームを遊ぶ自由すらない社会になりかねないからである。
というか、可分所得が減らされているという点で確実に私たちの自由は減らされている。