スレイヤーズ16巻感想~できるだけ幸せに生きる~

猫好きの作者さまと猫好きの絵師さまによる(いつぞやの作者コメント欄にそう書いてあった)ライトノベルの金字塔「スレイヤーズ」。

その16巻を今日やっと読み終わったので感想をば。出版されたのは去年の10月だけどな

なお、ネタバレを含むのでそれがイヤな人は引き返して下さいね。

スレイヤーズとは

神坂一によるライトノベル(以下、ラノベ)。イラストはあらいずみるい。魔道士である主人公、リナ=インバースの活躍を描いたファンタジー小説。アニメを小説(ラノベ)化することはあったが、ラノベからアニメ化が作られるという流れを作った最初の作品。

短編と長編があり、長編は15巻で完結したが、今回はファンサービス(作者さま曰く「同窓会」)的な位置づけで長編のその後を描いた第16巻が出版された。

16巻感想 またザナッファーかよっ⁉

リナの冒険は魔王をはじめとする魔族との死闘でした。今回は魔族との戦いを終え、故郷に帰る途中の街で魔族とは別の騒動に巻き込まれ…というお話です。

新キャラのアライナも「スレイヤーズ」らしいクセの強いキャラクターでそれはよかったんでどけど、問題は敵キャラ。

今回は魔族の代わりに「エルフ」が敵として立ちはだかります。敵、といっても魔族とは違って世界の命運や命を懸けて戦うワケではなく、価値観や損得勘定の違いから勃発した対立になるので、この時点で以前と比べるとスケールダウンしてしまっているのですが、それは仕方がないとして(この巻自体ファンサービスみたいなもんだし、時系列的には魔王倒した直後にまた別の魔族との戦いを描かれても疲れるだけだし)、問題なのはそのエルフが武器として使っているのがザナッファーだという事です。

ザナッファーとは本作に登場する魔獣の事で、「魔法が効かない」という特性を持つ強敵。ただし、魔獣なのは不完全ver.で、完全版は魔法が効かない防具。…なのですが、ぶっちゃけもうザナッファーが倒されるのは原作5巻やアニメ版REVOLUTIONで2度に渡って見たので「またザナッファーかよ!」と、読んでて全くハラハラしませんでした…。

「魔法が効かない」「強敵だ」といいつつ、過去そうしたように、リナたちなら容易に突破口を見つけるであろう事が想像できましたし、「どう突破するのか」という事にも全く興味が湧きませんでした…。

「もっと世界観が広がるような、新しい武器を設定して欲しかったな~…」というのが筆者の感想なのですが、他の方の感想には「懐かしのメンツが『同窓会』できたのは敵がザナッファーだったからこそ」という意見もあります。

できるだけ幸せに生きよう

そんなワケで、個人的には「悪くないけどビミョー…」だと思って読んでいた今巻でしたが、最後の方でリナがめちゃめちゃいい事を言ったので紹介したいと思います。それは…

「生き物って根本的にシンプルよ。人だろうとエルフだろうと他の動物だろうと、目的は『できるだけ幸せに生きる』ことなのよ」

…さすがリナというか神坂さんは「良い事言うなー」と思いました。

こういう「当たり前だけど忘れがちな事」をさらっとシンプルに言ってくれるのはとても美しいと思います。

それもただ単に「幸せに生きること」ではなく、頭に「できるだけ」と付くところがミソですね。「目的は幸せに生きることなんだ」にしてしまうと、「幸せじゃない」事態に見舞われたとき絶望感に打ちひしがれたり、「幸せにならなければならないんだ!」という強迫観念に襲われたりしてますます幸福から遠ざかってしまいますからね(^^;)

しかし、「できるだけ幸せに生きる」なら「なるべく(可能な限り)でいいんだ!」と気持ちもだいぶ楽になります。

資本主義社会に生きていると「お金」に振り回されがちで、「金は命より重い」という格言まであるようです。「お金がないと生きられない」「お金があった方がないより幸せになれる」というのは分かりますし、私もそう思います。…しかしお金はあくまで「できるだけ幸せに生きる」ための手段であって目的ではない…という事を忘れないようにしたいですね。

また、今朝「不登校になって自殺した生徒がいるから、これからは命の大切さを生徒に教えていく」というニュースをやっていましたが、「まだ『命の大切さ』とか不毛なことを言っているのか…」とあきれました。

「いや、命の大切さを教えるのは大事だろ」とか「生きたくても生きられない人だっているんだ」とかいう反論が聞こえてきそうですが、辛らつなことをいうと、「死にたい」と思う人の願いは「辛い現状から解放される事」であって、「命の大切さ」なんて心底どーでもいい問題なんです。

相手が大人だろうと子供だろうと、その人の自殺を本当に防ぎたいのなら「命の大切さ」なんて説教を垂れている場合ではなく、「どうしたら辛い現状を変えて少しでも幸せに生きられるのか」その人と同じ目線で一緒に考えてあげる必要があるんです。

もちろんそれはカンタンな事ではありませんし、「どうしたら幸せになれるか」「何が幸せなのか」というのは各々が自分で答えを見つけなければなりません。他人にできるのは、その手助けだけです。

…しかしそのような、「弱者に寄り添う」という視点・発想が持てずに「自殺防止のために命の大切さを教える」とか大人が上から目線で子どもに説教するようでは、ましてやそれを「これからいい事を始めます」と言わんばかりにニュースで報道するようでは、「日本はこれからもまだまだずっと自殺大国だな…」と、朝からちょっとあきらめの念にかられました。

Twitterで「死にたい」は「『しあわせになりたい』の略だ」と言っていた人がいましたが、本当にその通りだと思います。私もしょちゅう「しにたくなる」からよく分かります。

そんなワケで、この自殺大国・日本で重要なのは「命の大切さ」を教えることではなく、どうしたら「できるだけ幸せに」生きられるのか考えていくことなんだ、というのを伝えたくてこの記事を書きました。


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