リエゾンとかいう嘘くさ過ぎるドラマ

TV朝日にて放送中のリエゾンとかいうドラマ、クソである。

「生きづらさを抱える子供達を描く」というから見てみたけれでも、第2話の時点で親に育児放棄されている子供が「学校に行きたい!」といって泣き出した時点で嘘くさ過ぎてもう無理でした(子役の演技に問題はなく、純粋に脚本が悪い)。

私に言わせれば子供が「学校に行きたい!」というのは健康な子供が「病気になりたい!」と言っているのと同じ位おかしな描写なのですが、この脚本書いた側も見る側も誰も疑問に思わないのでしょうか?

少子化で子供の数は減っているのに「不登校が過去最多」という事実からも「子供は学校を嫌う」は客観的な事実であり、「学校が正しいとか楽しいとかいう欺瞞のメッキが剥がれて、いよいよ機能不全を起こしているのだろう」と私は思うのですが、まだまだこの社会の多数派は発達障害やADHDや親の虐待で「生き辛さ」を抱える子供達の事は理解し、寄り添おうとするけれども、学校のせいで生き辛さを抱えるようになったり心を壊したりする子供の事には無頓着…どころか、「学校に行きたがるのが正しい子供の姿である」と思っていそうで恐いです。

もしかしたらその子の父親は鬱病で育児放棄している設定なので「学校に行きたい!」は「父親から離れたい!」というのを遠回しに表現しただけであって、「その子が本当に学校に行きたいわけではないのだ」という解釈もできなくはないけれども、主人公の「○○ちゃん、もう何日も学校に行っていないそうです」からその子の「学校に行きたい!」ムーブだったので、脚本家は割りと本気で「育児放棄という誤った行いをする父親のせいで学校という正しい教育機関に通えない気の毒な子供(とそれを救う主人公)」という意図で書いた可能性が高いと思うんですよね。

父親の状態が芳しくないなら、それを口実に学校でいじめられそうなのに、そこら辺の事は考えないのでしょうか?

本作はあくまで「発達障害やADHDを抱える子供達の物語であって、学校の問題は対象外」という事なのかもしれませんが、だったら「生き辛さを抱える子供達を描く」なんて抽象的で広い表現にしないで率直にそう書いて欲しい。…と思うのはワガママが過ぎるでしょうか?

というかその子自身も何らかの障害持ち(何かは忘れた)という設定だったので、学校に行こうものならほぼ確実にいじめに遭うと思うのですが。そんなところに「行きたい」? 考え直した方が良いのではないでしょうか。

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