幸福な王子は本当に「幸福」だったのか?

情けは人のためならず

王子やツバメが自分を犠牲にしてまで頑張ったところで「欲にまみれたこの世」は何も変わらない。権力者たちは町のために尽くしてくれた彼らの事を知ろうともせず、彼らの遺体を粗末に扱い、自分の銅像を建てようと躍起になっている。彼らの善行は、「この世」では報われることがないまま、天国へ召されてしまうのだから、多くの日本人の感覚からすれば間違いなくこの物語は「バッド・エンド」だろう。

感想や考察を検索してみると

「自分を犠牲にしてまで他人に尽くしてはいけない」
「ツバメがかわいそう」
「困っている人に宝石や金を与えたところで一時しのぎに過ぎず、貧困の本当の解決にはならない」
「天国に行った二人は本当に幸せだったのか?」

と真面目に考察しているものもあったし、日本人の感覚としてはそれらはどれも至極まっとうな感想に見えるけれども、作者(オスカー・ワイルド)にしてみてればどれも的外れでトンチンカンな感想だと思われるのではないだろうか?

オスカー・ワイルドの真意にもう少し近づいて考えるなら、この物語は、「情けは人のためならず」というお話ではないだろうか。

「え、そうは言っても町の人たちを助けている間に冬が来てツバメは死んでしまうし、宝石や金メッキがなくなった王子の像は最後には燃やされてしまうじゃないか」と思うかもしれないが、恐らくそんな事は大して問題ではない。

多くの日本人がこの物語を正確に理解できないのは、「無宗教」だからだ。

オスカー・ワイルドはキリスト教の家系なので、「キリスト教的世界観」でこの物語を読み解こうとしなければならないのに、その視点がすっぽ抜けているからそんなトンチンカンな感想が出てくるのである(私も子供の頃は理解できなかったけどね)。

偉そうに語る私自身、キリスト教の信者というわけではないので、そこまで詳しくはないのだが、キリスト教にとって大事なことの一つは恐らく「キリストを信じた上で善行をつみ、天国に行くこと」である。

つまり、王子もツバメも、自己犠牲をいとわずに町の人たちを救えるのは「欲にまみれたこの世」ではなく、「死後=キリストによって導かれる天国」に煩悩を感じているからだ。

無宗教の日本人がこの物語を「バッド・エンド」だと感じるのは、彼らとは逆に「死後=天国」ではなく、「欲にまみれたこの世」に煩悩を感じているからである。

貧困にあえぐ町の人たちに施しをした結果、ツバメはエジプトに行けなくなって死んでしまうし、王子の身体は宝石や金箔がなくなってボロボロになってしまい、町の人たちから善行を称えられることもないのだが、言ってしまえば「冬を越すためにエジプトへ行く」のも、「宝石や金の装飾品」も「町の人から善行を認められること」も「この世の煩悩」である。それらを全て捨て去ったうえで、唯一神であるイエス・キリストに「この町で最も尊いもの」と認められ、愛するツバメと共に天国へ行くことができたのだから、この物語は間違いなくハッピーエンドなのである。

6/19追記:

youtubeに載っているアニメだとラストが変わっていて「二人の魂は神様に認められて天国へ迎え入れられた」のではなく、「町の人たちから生前の善行を認められ、銅像が建て直された」というオチに変わっていて驚いた。

神どころか死後の世界すらロクに信じず、「欲にまみれたこの世」で「他人から認められること」が人生の最重要課題と課している日本人らしい改変だと言えるだろう・・・。

別に宗教をすすめているわけではないが、「理不尽なこの世」で他人から認められることがなくても、善い行いをすれば、「死後ワンチャン神様が認めれてくれるかもしれない」くらいのゆるい気持ちは持っておきたい。

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