京アニの惨劇を防ぐために必要だったもの

追悼

被害にあわれた京都アニメーションのスタッフさんたちに心よりお悔やみ申し上げます。

社会的弱者を孤立させてはいけない

「小説を落選させられたうえにネタをパクられた」

…というのが青葉被告が今回の事件を引き起こした「理由」として報道されていますが、前々回の記事でも解説したとおり、加害者は自分の加害欲を正当化するために都合のよい口実を作り出します。

あなただって、(他に情報が一切なければ)今回の凶行を引き起こした理由について「俺の小説を落選させらたからだ!」と言われたら「そりゃお前の実力不足が悪い」と思うでしょうが、「俺の小説をパクられたからだ!」と言われれば「そりゃパクった方が悪い」と思うでしょう。

もちろん、「小説をパクられた!」というのは青葉被告の一方的な思い込み、言いがかりであって「客観的事実」ではないのですが、「小説をパクられたからだ!」というフレーズだけを聞けば正当性があるように聞こえるでしょう?

「加害者が自分の加害欲を正当化するために都合のよい口実を作り出す」というのはつまりこういうことです。

SNSを見ていると今回の惨劇を受けて「パクリだと思われないよう対策が必要」とか「パクリ叩きはいけない」というようなコメントを見かけるのですが、はっきり言ってそんなものは表面的な事情であって、根本的な解決にはなりません。

世の中にはいろいろな人がいるので、青葉被告以外のクレーマー対策にはなるかもしれませんが、「アイディアの類似はパクリではないし、落選した作品をパクることもない」と説いたところで青葉被告には届かないでしょう。

何故か。前述したとおり、「小説をパクられた」というのは彼が「自分の加害欲を正当化するために作り出した『口実』」であって、彼自身にとっても京アニを襲った本当の理由はそこにはないのです。

では一体彼は何にそれほど怒っていたのか。

それは恐らく、複雑な家庭環境で育ち、父からは虐待を受けたうえに自殺され、妹も自殺し、仕事もうまくいかず、生活保護も断られ、社会的に孤立していた彼にとって、「小説や京アニは自身の新しい人生の居場所…になる、“はず”の場所」だったからでしょう。しかし、小説は落選。現実には小説も京アニも彼の新しい居場所にはなりませんでした。

「自身の渾身の作品が落選にあう」というのは、クリエイター志望者であれば誰もが一度は通る道です。青葉被告がそれを受け入れられなかったのは、彼がこの社会でそこ以外に居場所を見つけられなかったからでしょう。

もちろん、京アニさんには何の罪も落ち度もないのですが、青葉被告にとっては「自分の居場所になるはずだった存在に裏切られた。許せない」…と一方的に思い込んでしまったのだと思います。

人間にとって、我慢は有限リソースです。

彼はずっと理不尽な自身の人生や社会にずっと我慢に我慢を重ねてその中でやっと「小説家になる」という目標を見つけて頑張るも、投稿作が落選したことで我慢の限界値を超えてしまったのだと思います。

大宮での無差別殺人を一度は計画するものの、取りやめて京アニを襲ったのは、それだけ京アニに対する執着心が強かったからでしょう。

彼は「人生がうまくいかないのは京アニのせい」とも供述しているそうですが、それは「自分の居場所になる“はず”だった京アニに対する期待の裏返し」だと思われます。

彼個人の人格の問題にしてしまうのが誰にとっても確実に溜飲を下げる手段なのは分かりますが、それでは今回の事件の本質を見ていないと思います。

どんな事情であれ、彼は絶対にしてはいけないことをしたので相応の罰を受けてべきではあります。

しかし人間は、追い詰められれば誰でも彼のようになり得るリスクがあるのです。

つまり、今回の惨劇を防ぐために必要だったものは「パクリだと思われない手段」などではなく、「京アニ以外で青葉被告が自分の居場所だと思える存在」です。

…と、結論づけるのはカンタンですが、具体的にそれが何かと聞かれるとこれが難しいんですよね💧。

少なくとも、「自己責任論」で弱者叩きをすることではないでしょう。

生活保護を叩く声も根強いですが、これは「犯罪を防ぐために作られた制度」であって、「受給者を叩いたり、申請を却下したりするとそれだけ犯罪が起こる確立があがり、社会全体にとって損をする」ということは誰もが認知すべきでしょう。

彼も最初に申請した生活保護が受理されていれば、小説が落選して落胆する彼に寄り添う誰かがいれば、この惨劇は起きなかったのかもしれません。

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