マギアレコードー覚醒前夜ー1~4話の感想と解説
第1期の迷走がウソの様に面白くなりました「マギアレコードー覚醒前夜ー」
…まぁ、そう思ったのは1期終了後に筆者がゲームをプレイして設定をある程度把握できたからというのもあるかもしれません。Amazonのレビューでは1期と変わらず厳しい評価が続いていますしね…(^^;)
設定もキャラも原作(まどマギ)より大幅に増えている分、ゲーム未プレイの方にはいまいちよく分からない展開が続いているのかもしれません。
ゲームの展開をなぞりつつも大幅な変更が加えられているので、ゲームプレイ済みでも毎回新鮮な気持ちで楽しめるのがこのアニメの良いところではあるのですが…。
第1話 みんなでなら魔法少女になれる気がしたの
第1期ではOPにしか出て来なかったまどかとほむらがついに登場! ネットでも「神回!」と話題になりました。
原作(まどマギ)とは違う角度からまどか達の活躍が見られたのがやっぱり面白かったですね。
…ただ、マギレコにおいては彼女達はあくまで脇役なので「話題作り」or「ファンサービス」的な側面が強い回なのではないかと思いました。アニメではマギウスに洗脳されてしまったマミのことはまどか達に奪還してほしいところです。
ゲーム未プレイの方に捕捉すると、マギレコ時空は原作でほむらがループしたどこの時間軸にも属さないイレギュラーな世界で、まどかが原作ほどの力を持っていないのも恐らくその為です。(原作ではほむらがループする度にまどかに巻き付いた「因果の糸」が、マギレコ時空ではないか、あったとしてもほとんど巻き付いていない状態だという事です…タブンネ)
また、最後に登場したねむの様子がゲームと大分違うのが気になりました。
第2話 あなたと少しも似てなんかない
やちよVSみふゆ。どちらも本作の目玉である「ドッペル」を発動して激しいバトルを繰り広げます。
ゲームだとドッペルにストーリー上のリスクはないですが、アニメだと「副作用」があることになりました。
やちよが暗い感情(≒ドッペル)に捕われるあまりみふゆを殺そうとするものの、ギリギリのところで我に返る描写がありましたが、恐らくこれが「副作用」なのでしょう。
…そこは見応えがあって凄く面白かったのですが、やはりマギウスと魔法少女の対立軸を描くのはちょっと無理がありなと思いました。
やちよは「いろはを殺したマギウス許さん」と言わんばかりに怒り心頭でしたが、そのマギウスがドッペルシステムを作らなかったら、第1期の第5話でいろはは魔女化して死んでいましたし、みふゆもやちよもとっくに魔女化して死んでました。「いろはを殺した」どころか、自分達の命の恩人に向かって何故かキレまくっているという、真面目に考えるとちょっと滑稽な光景ではあります(^^;)
まぁ、第1期の最終回でいろはが行方不明になったので、それで気が立っているというか「マギウスのせいで死んでしまったかもしれない」と焦っているのは分かるのですが、マギウスの作ったドッペルシステムのおかげでいろはもやちよも生き永らえたことは間違いないんですよね。受けた害より恩恵の方が大きいと思うのですが…。
やちよとみふゆも、仲が良かったころはどういう会話をして何で意気投合していたのか、という掘り下げがないままケンカしているので、二人が戦うことにさほど絶望感を感じられなかったのが少し残念かもしれません!?
第3話 持ちきれないほどあったでしょ
いろはのドッペルに捕われたやちよと黒江。
いろはのドッペルは、魔法少女の真実を知ったいろはが悪夢を見初めてしまったので、彼女を守るべく悪夢を「心地よい夢」に作り替えています。
第1期だと、魔女化の真実を知った時の反応が困り顔で「そんなのわかんないよ」と言うという、いまひとつ絶望しているのかいないのかよく分からない描写でしたが、悪夢を見ながらドッペルを発動するほど絶望していたことが明らかになりました。
熊(?)のぬいぐるみをうい(妹)として抱きしめるいろはの姿はおかしくもあり悲しくもあり、見る者を複雑な感情に誘ってくれます(そこが良い)
ぬいぐるみのういはいろはを落ち着かせるためにドッペルが作り出した偽物なのですが、「ういの病気を治して!」という祈りで魔法少女になったいろはのドッペルだからこそなのか、感情の主であるいろはの事も必死で守ろうとする姿が健気でしたね。「かわいい」とすら思いました。
今回の見どころの1つは「魔女化は不可逆現象だがドッペルは可逆現象」という設定が活かされている描写です。それは何かと言うと、ドッペルの心理描写及び言葉を発する事です。
原作だと、魔法少女か魔女化する寸前までは心理描写が描かれますが、魔女化した後の心理描写が描かれることもなければ、言葉を発することもありませんでした。まさに「もう何も届かない。もう何も理解することなどない」状態で、「呪いを振りまく」という性質に従い行動するのみです。
…ところがドッペルは自分が今どういう感情なのか、何故苦しいのか、苦しいから何がしたいのか、ちゃんと言葉で表現するんですね。
言葉で意思の疎通ができるからこそ、絶望の淵から救い出す術もあるわけです。
原作だと杏子とまどかが人魚の魔女をさやか(人間)に戻そうとしますが、人魚の魔女は沈黙を貫き通し、二人の必死の呼びかけに対し何も応えることはありませんでした。
魔女たちは言葉を話さないことによって、「意思の疎通ができないからこそもう二度と絶望の淵から救い出すことはできず、人間に戻すことができないのだ」という絶望を表現していたのかもしれません。
第4話 お前はそれでいいのかよ
「ドッペル症」というゲームにはないデメリットが描かれました。ドッペルを使い過ぎるとドッペルが身体から分離できずに一体化してしまうというものです。これも「ドッペルの副作用」なのでしょう。このままだと手に負えないので調整屋で隔離することに…。
ゲームだと「魔法少女になってから数年が経過」or「年齢が10代後半」の子たちは感情の振れ幅が小さくなる影響でドッペルが身体から分離しきれずに一体化してしまうという設定があるのですが、それを発展させたのが「ドッペル症」という設定なのだと思います。(いろはのドッペルが髪の毛の先にあるのに対し、やちよやみふゆがドッペルとほぼ一体化しているのはこの為)
特筆すべくはゲームでドッペル未実装の魔法少女たちがアニメで一足先に「ドッペル」症になっていた事ですね(^^;)
制御不能の状態のドッペルは魔女化と同じ扱いという事になり、無言で暴れる描写になりました。
やはり「言葉を話すか・話さないか」というのは、ドッペルと魔女を分かつ演出の一つであるようです。
さいごに
マギウスと魔法少女の対立軸の描き方に無理があったり、コネクトとは何なのか説明しないまま描写していたり、登場人物が多過ぎて各キャラの掘り下げが浅かったりと脚本に難があるのも否めない感じではあります。
しかし「ドッペル」という疑似魔女同士のバトルや、魔女とは一味違うドッペルの真実、ドッペルシステムを創る為に払った代償…などが本作の見どころなので、「一体なにが起こっているのか、ワケが分からないよ」という方は細かい設定の粗には目をつむって、とにもかくにも「ドッペル」の謎を巡るバトル、というところに着目すればマギレコのアニメを100倍くらい楽しめるのではないかと思います。
※記事の画像は全てAmazonプライムより。
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