魔法による魂の救済「パンズラビリンス」感想
魔法の世界が現実に侵食していく映画がありまして、それが(日本では)2007年に公開された「パンズラビリンス」です。
本作に登場する魔法の世界が実在するのかオフェリアの妄想に過ぎないのかは意見が真っ二つに割れている様ですが、この事について議論するのは無意味です。
何故なら製作者は「魔法の世界は実現する」という設定で本作を作ったからです。
勿論、その上で観客がどう感じるかは人それぞれですが、筆者は「本作中では魔法の世界は存在するもの」だと思いました。
予想の100倍位面白い映画でした。こんな映画を見ずに過ごしてきたなんて、私はこの15年間損していました😭
そんなワケでこの記事では本作の面白かったポイントを綴ります。
ストーリーもメッセージも◎
パンズラビリンスあらすじ
恐怖の政治が国を覆っていたスペインの暗黒時代に、少女オフェリアは生を受けた。優しかった父が死に、身重の母親と二人で直面する現実は目を覆うようなことばかり。新しい父親はまさに独裁のシンボルのような恐ろしい大尉。生まれてくる自分の息子にしか興味を示さず、オフェリアの生きる世界は閉ざされていた。そんなとき、彼女が見つけたのはうす暗い森の中の秘密の入り口。妖精の化身である虫たちに導かれて、迷宮の世界への冒険が始まる…。
※Amazonより引用
あらすじを少し補足すると、妖精に導かれ、オフェリアは迷宮の番人、パンと出逢います。パンはオフェリアに「あなたはかつて魔法の世界を抜け出し、死んでしまった王女の生まれ変わりではないか」と言います。
パンはオフェリアを魔法の王国に帰したですがその前に、「ただの人間」に成り果てていないか彼女を試すというのです。パンが用意する「3つの試練」を突破できれば「王女の生まれ変わり」と認め、魔法の王国に帰すというのです。
ここで、パンの言う「ただの人間」とはオフェリアの母と義父である大尉様な人物の事だと思います。
…つまり「自分の保身や利益の為に平気で他人の尊厳や生命さえも奪う人」の事です。
「王女の試練」として課されたものの中には、肥太るカエルや、罠に掛かった子供を捕食してしまう怪物ペイルマンが出て来るのですが、前者は母、後者は義父の暗喩だと思います。
カエルは住処である木を枯らしながら虫を喰らって肥え太っており、オフェリアから「恥ずかしくないの?」と非難されます。
虫は大尉、木はオフェリアや家政婦達等、母の周囲に居る大尉のせいで被害を受けている人物達の暗喩、太った身体は大尉の子供を身籠った事の暗喩でしょう。
ペイルマンはもっと分かりやすく、目の前に豪華絢爛な食卓を構えていますが、これは罠であり、ペイルマンはご馳走に手を伸ばした子供を食べてしまいます。
カエルの試練は無事に乗り越えたオフェリアですが、ペイルマンの罠には引っ掛かってしまい、自身は命からがら逃げ出しますが、お付の妖精を何匹か死なせてしまいます。
罠であるご馳走は大尉の地位や権力(現代日本風に言えば圧倒的経済力)の暗喩であり、これに引っ掛かったオフェリアの母は自分だけではなく、周囲の人間達の命も危険にさらしています。そして、オフェリアにも母と同様、時として甘い誘惑に負けてしまう弱さがあったという事です。
その事でパンから怒られ、母の体調が悪い事もあり、しばらく試練からは離れていたオフェリア。
試練を続行して欲しいパンは「母の体調を回復させるためにはミルクを浸したマンドレイクを母の寝床に忍ばせ、毎日血を2、3滴垂らすように」とオフェリアに指示します。
母との面会は大尉から禁じられていたオフェリアでしたが、母のために、危険を顧みずに毎日パンの指示通り母の元へ向かいました。
その甲斐もあり、母の体調は回復します。
ところがある日、言いつけを破って母に会って大尉にバレてしまい、ベッドの下に隠していたマンドレイクも発見され、激しく叱責されます。
実のところこの場面で「魔法が実在するな否か」は大して重要ではないのかもしれません(本作的には魔法は実在するのですが)。
「逆らったら義父に殺される」という危険を侵してまでオフェリアは母に毎日会い、自分の血も数滴毎日垂らしていました。運良く義父に見つからなかったとしても、オフェリアには毎日母の為に血を流すという苦痛も伴います(そこら辺の描写はカットされていましたが設定上はそうなっています)。
たとえそれが迷信的なまじないの儀式に過ぎなかったとしても、自分のために命懸けで尽くしてくれた者がいたら感謝の念を抱くのが通常の人間心理ではないでしょうか。
しかし、大尉に依存する母はオフェリアの献身的な愛に気づかず、
「魔法なんて誰にも存在しないの!」と絶叫します。
しかし、ここで本当に現実を見ていないのはオフェリアではなく、母の方です。
自分を心から愛し、身を案じてくれているのは大尉ではなくオフェリアの方なのですが、大尉に依存する母は全くその事実に気付こうとはせず、あろうことか自らマンドレイクを暖炉にくべて燃やしてしまいます。
マンドレイクこそがオフェリアの母に対する献身的な愛の結晶、「元気になって欲しい」という祈りであり、実際に体調を回復させていた呪物だったというのに、自らそれを踏みにじってしまったのです。
その直後に母はオフェリアの大尉の息子であり、オフェリアの弟を出産し、それと同時に亡くなってしまいます。
この様に最後まで無責任な母でしたが、義父の大尉も徹底的に「嫌な奴」として描かれおり、それが本作の面白さに直結しています。(次回に続く)
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