大事なのは善悪より人情~ジーサンズはじめての強盗感想~
「ジーサンズはじめての強盗」という映画をアマプラで見たのですが面白かったです。
本作は邦題の通り爺さん3人組が銀行強盗を企てるクライム・コメディ映画で、アメリカのクライム映画「オーシャンズ」と爺さん(複数形)をかけた邦題も面白いところです(笑)。オーシャンズ見た事ないけど。
「銀行強盗」はれっきとした犯罪ですが、そもそも定年間近のジーサンズ(笑)がそんな無謀なことをやろうと企てたのは、勤めていた銀行に裏切られて定年後に受け取れるはずだった年金を不履行にされてしまったからです。
私達は「法律は正しい」と洗脳されており、それに反したことをすると相応の罰が与えられてしまいますが、そもそも「法律」や「善悪道徳」というのは往々にして強者が弱者を支配するために都合よく作られているのです。
だからこそ、脱税は犯罪として徹底的に罰せられる一方、政府による11兆円もの使途不明金は無罪放免で放置され、銀行強盗は犯罪として取り締まられる一方、銀行による従業員への年金不払いは不問とされるのです。
銀行強盗は一般常識で考えれば大罪ですが、ジーサンズの望みはあくまで「自分たちが手にするはずだったささやかな幸せ≒年金」であり、それ自体は悪として糾弾できるものではありません。
ジーサンズの一人は急に家のローンが3倍になり、このままだと家まで差し押さえられてしまいます。
もう一人は肝臓が悪く、移植手術を受けないと死んでしまいます。
最後の一人も愛する女性と暮らすためにお金が必要でした。
勿論、迷いはありましたが、成功すれば「無残にも奪われてしまったささやかな幸せ」を取り返すことができ、失敗しても刑務所で過ごすだけ(家賃に困らず、3回の食事もつく)失うものは何もない「奪うのはあくまでもらうはずだった年金額だけ。余った分は寄付しよう」とまで考えたうえで犯行を決意します。
ジーサンズは老体を鍛えるべく筋トレや銃の訓練、時間のシミュレーションや逃走車の用意、アリバイ作りなど入念に作戦を練り、ついに作戦を決行します!
そして迎えた犯行当日。
ジーサンズはマスクをかぶり、手にした銃(中身は空でした。誰かにケガをさせたらまずいと考えたからです)で行員たちを脅し、現金を奪います。
その時何を思ったのかたまたま客として来ていた少女が「おじさんこの子もいる?」と自らの人形をジーサンズの一人に差し出します。
ジーサンズは女の子に近寄り、「お人形さんはいらないよ。うちの孫も小さいころそういう人形を持ってた」と少女に優しく話掛けます。「いいから、おじさんはお仕事中なのよ」と母親の制する声に「銀行強盗が仕事なの?」少女は問います。「そうじゃないんだ。私はもっと家族に会いたいだけだ」とジーサンズは語り、その直後に肝臓の不調が原因なのかその場で体調を崩し倒れかけてしまいます。
この時少女は「マスクをしていたら熱いよ」とジーサンズを気遣ってマスクを取ろうとして彼の顔の一部と、彼の孫の写真が貼られた腕時計を見てしまいます。「私もマスクしていたとき苦しかった」と語る少女にジーサンズは「優しい子だね。ちゃんと学校に行け。強盗はするな」と言いました。
その後、辛くも予定どおり銀行から逃走するジーサンズでしたが、防犯カメラには犯行の一部始終が収められており、警察から呼び出されてしまいます。
呼び出された会場に警察が連れてきたのはあの人形を抱えた少女でした。
警察は少女にこの中に犯人がいないかと問い、少女はジーサンズを一通り見たあと、最後に自分が顔の一部と腕時計を目撃したジーサンズの前で止まり、警官にこう言いました。
「この中にはいないみたい」
この一言が決定打となり、ジーサンズは警官の捜査を逃れ、家を失わずに済んだり手術を受けられたり意中の女性と結婚したりと幸せな余生を過ごすことができました。
少女はジーサンズのことを覚えていました。しかし彼女は爺さんが強盗をしたのはあくまで不本意であって、本当は孫を思う優しい人だと気付いており、そんな彼の気持ちを尊重してウソをついたのです。これが現実だったら正直で善良な多くの少女はウソをつかずにジーサンズが犯人だと言った事でしょう。何故ならそれが「正しいこと」であり、自らの意思でウソをつくよりも世の中や一般常識が決めた「正しいこと」に従っていた方が楽だからです。私(が少女)だったらウソをついて爺さんを庇えたかちょっと自信がないですね(^^;)
そんなワケで「単純なクライム・コメディ」として見るものいいですが、「善悪よりも人情を大事にしよう」というのがこの映画の主題ではないかと思ったのでした。