アニポケ映画「水の都の護神」がつまらない!?
ポケモン映画第5作目にして無印時代最後の作目「水の都の護神ラティアス&ラティオス」を今更見たので感想をば。
※愚痴要素多めなので閲覧注意です。
筆者の前置き(ポケモンと学校のしょうもない思い出)
無印時代のポケモンの映画は本作以外は全部映画館に見に行っていたのですが、本作だけは当時映画館に見に行きませんでした。
当時受験生でポケモン映画を見る余裕が無かった…と言えばそれが一番分かりやすい口実ではあるのですが、それまで一緒にポケモン映画を見に行っていた相手と仲違いしてしまって、「一緒に見に行く相手がいなかったから」というのも理由の一つだったりします(^_^;)
…というか、「ポケモンが好き」と言うと「中学生にもなってまだ『ポケモン』なんて小学生向けコンテンツが好きなの? このキモオタwww」的な扱いを受ける場合もあったので、「ポケモンから離れる事」は当時の私にとって自衛の一つでもあったのだと思います。
小学生の頃からポケモンに詳しいと同級生達から「コイツキモwww」的に引かれたので、ポケモン自体は大好きだけれども、学校が絡んで来るとおよそろくな思い出がありません。
サトシ達は気の合う仲間達とポケモンという人間にとって極めて都合の良い生き物達と自由気ままに冒険していたわけですが、自分は学校という牢獄に囚われて、いつ役に立つとも知れない知識を詰め込みながら気の合わない相手とほぼ毎日顔を合わせなければならなかったのだから、地獄から天国を恨めしく眺める気持ちも拗らせていたのかもしれません(^_^;)
金銀のゲームがやや期待外れで幻滅したというのもあるけど。
映画の感想(本題)
そんなワケで当時(無印時代で)唯一見逃した映画が「水の都の護神」だったのですが、あれから約20年越しに見たら微妙でした💧
街並みの美しさやファンタジックなBGM、映像表現は無印時代最高傑作(※)だと思います。一瞬とはいえ、プリンもスクリーンに出てくるし、本作を当時映画館で見なかった事が若干惜しくもあります。
※無印時代と断りを入れたのはアドバイスジェネレーション編以降のアニポケ映画をほとんど見ておらず、比較ができないからです。
しかし一方で、脚本はサトシとラティアスのラブコメがほぼ全てで、そこに感情移入ができないと、ラティオスは敵に囚われてからずっと拷問されっぱなしで、やっと救出されたと思ったら、津波を止めるために自己犠牲であっさり死ぬし、彼を間接的に死に追いやった胸糞悪い怪盗姉妹はとくに懲らしめられることもなく放置。
一応、エンディングでは警察に捕まる描写があるものの、「怪盗姉妹を超えてやる!」と意気込んでいたロケット団もとくに見せ場がないまま水に流されて終了。
一体どこにカタルシスを感じろと!?
今までポケモンの悪役はサカキやビシャスと言った「男性のロケット団」になりがちだったので、「女性の非ロケット団」を悪役に据え、舞台のモデルを海外にする等、「ポケモンの新しい世界観を広げよう」としている姿勢は良いと思うし、ラティアスはとてもかわいらしく、サトシに惚れた理由も明確で、「水の都」が舞台のラブコメとしてはあの「バブル」より面白かったのも確かです。バブルと比べるのが間違いだとは言ってはいけない。
しかし、これがあの大傑作「ミュウツーの逆襲」を差し置いて「ポケモン映画一番人気」と言われるとモヤモヤするのでした(^_^;)
最後にサトシにキスした少女がラティアスかゲストヒロインのカノンかで意見が割れているそうですが、ぶっちゃけそんなのはどうでもいいから、サトシでもロケット団でもいいから怪盗姉妹を懲らしめる描写が欲しかったですし、ラティオスを無下に殺さないで欲しかったです。
結局みんな見たいのはラブコメで、「コピーと本物との戦い」とか「生きる意味」とか、「自己犠牲で死に行く者の悲しみ」とかそんな小難しい事で悩むより、「性愛の相手を見つけてキスだの正体は誰だだの言って盛り上がれればそれで幸せなのもしれない…」と絶望的な気持ちになりました。
別にそれが悪いというわけではなく、そこに共感できない自分がどうにも悲しいのです。
映画や音楽は美しいけど、大変な状況の当時に見なくて、まぁよかったのかもしれません。