さらざんまい11話(最終回)感想

ついに終わってしまいました。

あっという間の全11話でした。

最近は他の方達の感想文を読んでから記事を書いていたのですが、最終回なので誰の感想も読まず、まっさらな状態で自分の感想を書きます。

オールスターズな最終回

個人的に見たかったオールスターズなギャグ回が実現しなかったのはちょっと残念ではありましたが、玲央と真武も復活して、オールスターズな最終回だったのは良かったです。

…久慈誓は…カワウソが化けた姿として登場はしましたが、復活はしませんでした。本作で最も不幸(報われない)なのは彼だったのかもしれません。

だから彼らはサッカー少年なのさ

サッカーボール=タマ、パス=巡回、ミサンガ=つながり

アイキャッチの皿(orタマ)3枚がムーヴしてミサンガになった場面は印象的でした。

幾原監督前々作の「輪るピングドラム」が「ピングドラム=りんご=愛」を送り合う物語だったように、本作のりんごはサッカーボールやミサンガで、それをパスし合う物語だったのだと思いました。

…平たく言うと、男同士の友情や愛の物語です。

最初に一稀の問題(自分だけ本当の家族ではないこと、また、春河が二度と立てない足になってしまった事について悩んでいた)が解決して、燕太の問題(一稀にもう一度笑って欲しい、自分だけを見て欲しい)が解決…? して、最後に残ったのは悠の問題。

つながりたかった誓(兄)とは一緒にいる事が叶わなかった。

自暴自棄になり、一稀たちとのつながりをも捨てようとした悠を救うのが最終回のテーマでした。

彼らの「つながり」の象徴であるミサンガを、過去の……初めて悠に逢い、ミサンガを託された一稀に渡すことで「つながり」を元に戻そうとします。

最初は自らつながりを消していった悠でしたが、一稀、燕太と合流したことで彼の心境にも変化が。

悠を中心に、

「さらざんまい!」

で、彼らは目的を果たします。

悠は少年刑務所で3年間の更生の後、一稀や燕太と再開。二人共、いつ、どこに悠が来るのか分かっていたようでした。

これから3人の「つながり」は消えることなく続いていくんでしょう。

「今回はOPはカットなのか?」と思いましたが、あの明るい歌が最後に流れました。

この歌のように、彼らの未来も明るいことを示しているのかもしれません。

くろケッピ、カワウソとは何だったのか?

くろケッピがケッピから分離した絶望の化身で、カワウソが彼を利用して地球を絶望に陥れようとしていた事はなんとなく分かりましたが…割りとあっさりケッピと融合しましたよね、くろケッピ。

恐らく尺の都合なのでしょうが、カワウソも「帝国」を名乗っていた割りに、メンバーが「カワウソ帝国技術庁長官」一人しか出て来なかったのはちょっと寂しいかもしれません。

結局、カワウソとはなんだったのでしょう?

作中ではカワウソ自ら「概念」を名乗っており、一稀たちの妨害をするものの、最後は割りとあっさり消滅してしまいます。

言うなれば、「セーラームーンシリーズ最終章に出て来た諸悪の根源、カオスの様な存在」と解釈するのが正しいのでしょうか。

カオスは最後、セーラームーンの力(=愛)によってバラバラになるものの、完全に消滅したわけではなく、ムーン曰く、「人々の心の中に還って行った」との事でした。

本作における諸悪の根源カワウソも、つながりをあきらめない一稀たちの力によって消滅したように見えて、実は人々の心の中に還って行ったのかもしれません。

※もっとも、セーラームーン最終章の制作に幾原監督は関わっていないので、この解釈は正解ではないかもしれませんが。

玲央と真武

ケッピの力であっさり復活した玲央と真武。

これでいいというか、むしろそういう展開を期待していたのですが、カワウソに機械の心臓を握られ都合よく支配されていたのが嘘のようですね(^^;)

ケッピの力で復活した玲央と真武

手をつなぎ合っての再登場という、ファンの期待を裏切らない画面(笑)

衣装も、これが彼らの正装なんでしょう。

今まで敵対していた一稀たちに、最後に協力したのは胸熱ですね。

彼らは主君であるケッピの力さえあれば復活できる、言うなればセーラームーンさえ生き残れば何度も復活して来たセーラー戦士のようなポジションなのでしょうか。

そして最終回でハッキリした事があります。

やっぱり漫画版とアニメ版の彼らは全くの無関係でした(^^;)(販促ページで「アニメ版とつながる~」と宣伝されていたのは一体なんだったのか)

…何はともあれ今度こそ、誰がどこからどう見ても、二人がハッピーエンドで良かったですね。

ケッピとサラ、真の姿

ケッピとサラ

馬みたいな顔だと思ったのは私だけ?(笑)

これが彼らの真の姿…? という事は、玲央や真武ももしかして、本来はこういう顔なのでしょうか?(^^;)

終わりに

「今ここじゃないどこかへ行きたい」それ、分かる。凄くよく分かります(T_T)

…さて、本作をちゃんと理解できたのかと問われれば、ちょっと微妙な感じです。

玲央は「未来は欲望をつなぐものだけが手に入れられる」とよく言っていましたが、そもそも「欲望を繋ぐ」とはどういう事でしょう?

本作のキャッチコピ―である「欲望はキミの命だ」をヒントに読み解くと、本作における欲望とはつまり、「生命そのもの」だと解釈する事ができます。

…しかしそうすると、「欲望=生命」の対比として描かれていた「愛」とは一体なんでしょう。

「生きる事」それ自体が「欲望」だとすると、「自分が生きる事以上に望むもの=自己犠牲=愛」という構造なのでしょうか。

第10話で真武が「欲望」と判定されたのは、「愛を伝えると爆死してしまう心臓」に生かされてでも玲央のそばにいようとしたから?

「爆死」という自己犠牲を選べずに玲央の側にいようとした真武の心理は欲望、という事なのでしょうか。

でも真武が玲央に否定されてでも彼の側にいようとしたのは「言えない」だけで、本心では玲央を愛していたからで…。

やっぱり真武が欲望として判定された事はよく分からないなぁ。

まぁ、そんな感じでしたが、3ヵ月間楽しませて頂きました!

そう遠くない未来でまた幾原監督の新作アニメに出逢えたらいいなと思います。

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